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すうぷ屋 Hygge
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happyhygge@gmail.com



                                                 



『穏やかなもの』

穏やかな音楽、穏やかなスープ、穏やかな雑貨、穏やかなイベント、
穏やかなアート、穏やかなアーティストetc...お届けします。
自分の心が 人の心が 穏やかで平和でありますように...

穏やかなことを 大切に 届けている運営会社です。
穏やかなことなら 得意ですので QUALIA HYGGEに お気軽にご相談ください。

人々の心が平和で穏やかであって欲しいという希望を込めました。

例えば 同じ会話をしたとして ひとりとは 楽しく むしろ 
互いに心を時めかせるような感謝の気持ちさへ芽生えるのに、
ある人とは 同じ会話をしているのに 何故か?ひっかかる。

そういう体験はありませんか?

私は そういう体験をするたびに、胸が苦しくなります。
何故、普通に流れることも 大事になり、大騒ぎするのだろう?と。

人には誰でも知らないことや 間違いはあるのだから、
まずは 心を謙虚に 素直に人の話に耳を傾ける気持ちが必要ではないのか?
譲り合い、許し合い、認め合う素直な心が 互いにあれば、決して 大騒ぎすることでも 
険悪なムードになることも、戦争になることもないのに....。

しかし、世の中には色んな人がいます。

問題はこの簡単なことを 難しくする 自分の固定観念が正しいとする
意識なのです。


脳科学的に話すと 少し複雑で 専門用語が出てきますので、興味のある
人は ご自身で調べて下さいね。^^

簡単に言うと、リンゴを見るとき、リンゴに反射した光が眼から脳に届く その間のこと。

私は 勝手に 5次元の世界、固定観念(意識)の前にある リンゴは赤い感じがする…
というそれくらいの非物質な判断状態だと....イメージしています。

これくらいだと わかりやすいですよね?
それでも わかりずらいと言えば、わかりずらいですが…(笑)
なんとなく そんな感じです。

3次元の世界が 私達の住む世界ですよね。空間が縦、横、高さの3つ。
これに 時間を加えたのが4次元。

アインシュタインの相対性理論を簡単に言うと、同じテレビを見ていても
人間に見えるものは 犬には ただのノイズ電波としてしか うつらないという
2つの相対的な視点で感じることを言います。

自分が正しいと思っているものは 他の物体からすると 違うかもしれないよ?
だから、自分をすべて 正しいとする1元論でなく、相対的に2元論で
見ることが 間違いがないよ。と とても簡単に言うと そんな感じが相対性理論です。

私も この2元論の考え方は とても良いことだと思っていました。
自分の考えが絶対ではないから、どんな時も 自分をまずは疑って 相手の
話を素直に聞くことは 大事だと意識していました。
2元論を意識して、スムーズに会話や人との触れ合いが進む時は
問題ないのです。大体は、許し合い、譲り合い、人としてのコモンセンス(常識)を持って
相手の気持ちになって話すことで、揉め事には なりません。

しかし、ほんのまれに、どういう角度から 譲っても、許しても、謝っても、
話し合おうとしても、どうしても、譲らない、許さない、謝らない、
自分が間違っていても 虚言工作してでも、自分を正当化し、相手のミスを認めない、
自分のエゴを譲らない。嫉妬や妬みや僻の塊の様な 関係ない人まで巻き込んで起らないで
良いことを引き起こしてしまう人もいます。
そんな状況に出逢ってしまうと、例え自分の心が平和でも どっと疲れてしまいます。
2元論で考えて 心の平和のために 自分が 許し、譲り、謝り、何度も和解や平和を
心がけたとしても やはりストレスが溜まるものです。
相手の怒りをそのまま受け止めるのですから 当たり前のことですよね。

ある人からすると、穏やかな普通に流れる景色が、真逆の喧嘩や戦争、罵り合いになる。
私は そういう光景を瞳にするたびに、胸を痛めます。

考えた時に、それは2元論を意識しているからだ?ということに気づきました。

自分の考えは こうだけれど、相手の考えは 違うかもしれない?
だから、まずは 相手の気持ちになって考えてあげることが大事だという2元論、
この相手の気持ちになって考えるというのは 人として大事なことだと思います。

しかし、時に相手が とんでもない頑固な心の持ち主だったら、
『どうせ 言ってもわからない。この人は浅はかで 智慧のない賢くない人だ』と
心の何処かで 我慢して 諦めているということにもなるのです。
ストレスの原因は この我慢する心なのです。

かえるや犬に見えているものが 本来人間には わからないのと同じで、
同じ人間でも 相手の心の中までは わからないのです。
ですから、2元論どころか?とんでもなく 無数の固定観念があるわけです。
そんなのをいちいち わかり合おうとしていたら 心が重荷になるばかりですよね。

心が辛く穏やかでない時に 当たり前のことに気づいた自分がいたのです。

だからと言って、自分さへ良ければ良いや、わかりあえなくてもという人ばかりになれば 
あっと言う間に世界は滅びます。

何故なら、持ちつ、持たれつ、世の中の経済や暮らしは成り立っているからです。
自分が知らない他人だから 関係ないではなく、
知らない人が ガスや水道やスーパの食品を揃えてくれているから 
自分達は不自由なく生かされています。忘れてはいけないことです。


「愛される」事を愛だと勘違いしてませんか?
いかに相手が自分だけを愛してくれるか、自分だけに尽くしてくれるか。
自分だけを愛してくださいと、考えていたとしたら、
逆だったら 窮屈になりますよね。
これは実は「奪う愛」といって本来の「愛」とは正反対のものであります。
だから奪えば奪うほど人は自然に離れていくんですね。
極端に分かりやすく言えばですが、、、

自分のために 恋人やパートナーや子供や他人を愛するのではなく、
人の幸福を心より祈り、自分がしてもらいたい事をしてさしあげる。

推奨したい愛とは、
見返りを求めずに愛を与えていく事、です。
見返りはやはり自分のためなので、なかなか幸せになれません。
愛を与えるほど、無償の愛を与えるほど、実は幸福になるという法則がある気がします。
それが本来の人間のアイデンティティ(在り方)であり、ビジョン(計画)であり、ミッション(使命)
なのではないか?と 私も まだまだ未熟ですが そんな気がしてなりません。

話は 長くなりましたが そこで 


クオリアは『固定観念の前の世界』相手を意識するのではなく 自分の固定観念を
捨てること。これは リンゴであるかもしれないけれど、リンゴでないかもしれない。
リンゴでないかもしれないけれど、リンゴであるかもしれない。その間の世界、なんだか、
リンゴは 赤い感じ…。その赤い感じだけの部分。

自分の過去や経験や意識を脳で考えて心に繋げて思考する前の 純粋無垢な
この世に生まれて来た その感じくらいに 人間がなれることこそが
心が平和でいられることで、相手の願望を それぞれが認め合い、
我慢なく、助け合い 楽しみ それぞれの心が満たされることを
応援しあえ、叶え合えるのではないか?と私は考えています。

赤ちゃんの頃は 人間は戦争なんてしませんよね?
思考なんて働かないから、なんだか、青だったり、黄色だったり、黄緑だったり...
隣の赤ちゃんが 積み木を倒すだけでも、楽しくて、可笑しくて、嬉しくなるんです。

大人になっても 皆が 赤ちゃんみたいに 純粋無垢な イメージを 描がけたら
なんだか、皆の心の願望がありのままで 満たされて 幸せそう。
わざわざ、拳を突き上げて 反対運動なんてしなくても 人間ひとりひとりの固定観念を捨てて
みたら 今日から 平和な世の中になると思います。

こんな簡単なことが 一番難しいんです。
でも、一番叶えることが可能な地球規模の平和なパワーだと 思いませんか?

心の平和を 少しだけ 今 想像しみてください。

その感じが 5次元『クオリア』と わかりやすく イメージ出来ましたでしょうか。
私の持論もありますが....(笑)
科学的に言うと とっても複雑で、興味深いので
この感じが しっくりきた人は ご自身で 深く学んでみてください。

すうぷ屋Hygge の長年のファンの皆様は ご存知のとおり

デンマークの人が最も大切にする言葉で、
「人と人とのふれ合いから生まれる暮らしの中の心地よい空間」という意味があります。
縁側でゆっくりとお茶を味わう時の和やかな雰囲気や居心地の良い
ソファーでの友人とのおしゃべり
家族そろってテーブルを囲みおいしい料理を食べる。
・・・そんなときに感じる「ほっ」とした気持ちをさす言葉です。
そんな「ヒュッケな時間」を 変わらず 大切にしたいと 私達は思惟しています

ということで、
『クオリア』=固定観念や思考を意識する以前の赤ちゃんの様な無心の状態で、
『ヒュッケ』=人と人が触れ合い、心が穏やかで平和でありますようにという希望と願いを込めて

合わせて

大切な人へ I Love youを伝えてあげてください。
そして 世界の温度を 穏やかに 明るく上げていきましょう。
まずは、大袈裟なことでなく 私達が身近で
出来る 心の平和から はじめたい。

一般社団法人 QUALIA HYGGEは 心の穏やかな仲間と繋がって
地球を平和に 日本を豊かな国にして 行きたいという ささやかな 夢があります。

どうぞ 宜しく御願い致します。

どうぞ 宜しく御願いいたします。